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【シャンボール・ミュジニー 2017】 ミシェル・グロ

【シャンボール・ミュジニー 2017】 ミシェル・グロ
フランス、ブルゴーニュ 

ピノノワール100%

※在庫は常に変動します。お気軽にお問い合わせください。

1830年から続く女池の6代目、ミシェル。1975年から父ジャン・グロと共にドメーヌで働き、1995年に継承。独自の醸造哲学を持ち、安定した品質のワインをつくる。
シャンボールのグロの最も広い区画は、”レ・ザルジリェール”(粘土質の土地)にある。力強く、村名クラスのシャンボールにしてはまれな凝縮感を持ったワインが生まれる。

  • 【シャンボール・ミュジニー 2017】 ミシェル・グロ

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    11,660円(税込)

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  • Domaine Michel Gros / ドメーヌ ミッシェル グロ

    ミッシェル・グロ氏は、ブルゴーニュ伝説の造り手”ジャン・グロ”の長兄にして、 ドメーヌと多くの畑を引き継いだ人物。
    父(ジャン)は1995年を最後に正式に引退し、所有していた畑は分割して相続され ました。相続によって、ジャン・グロのフラッグシップだった”特級・リッシュブール” の畑は妹のアンヌ=フランソワーズが相続し、現在ではドメーヌ・A・F・グロのワイン としてリリースされています。

    ドメーヌ・ジャン・グロは、1970年代より、ジャンの妻メリーと、ミッシェルが実質的な 責任者として運営されており、ジャン・グロの名声や、ワインへの賞賛は、そのまま、 ミッシェルへの評価といっても過言ではないでしょう。



     
    1975年 ミシェル・グロはボーヌ市の葡萄栽培学校を卒業して、父ジャンと一緒に働き始めました。
    1979年 父の葡萄園の一部のブルゴーニュ・オート・コート・ド・ニュイ2ヘクタールを自分で造り
    始めました。そしてフィロキセラのため耕作しなくなったオート・コートの土地に葡萄の樹を植え
    ることによってドメーヌを拡張していきました。
    1967年 クロ・ヴージョ一区画を購入。
    1990年 ヴォーヌ・ロマネ一区画を購入。
    1993年 そして1996年にシャンボール・ミュジニー数区画を購入。
    1995年 モレ・サン・ドニ村のラ・リュー・ド・ヴェルジー一区画を購入しました。
    1995年 葡萄収穫の後、ジャン・グロは引退してドメーヌを子供三人に分配しました。

    1995年まで自分のドメーヌを経営しながら父のドメーヌを管理してきたミシェルは、単一畑の クロ・デ・レア、ヴォーヌ・ロマネの一級畑、ニュイ・サンジョルジュの2区画、ヴォーヌ・ ロマネの2区画とACブルゴーニュの一区画を相続しました。

    収穫は全て手摘みで行い、その場で選別されます。除梗して温度管理しながら発酵させます。
    発酵の前半は一日二回ルモンタージュ、後半はピジャージュを行います。
    熟成は各キュヴェにより異なる。
    新樽比率は平均して村名30~40%、一級50~80%、特級100%となります。

    ・シャンボール・ミュジニーについて
    シャンボールにある私たちの最も広い区画(42ares)は、《レ・ザルジリエール》の中にある。「アルジリエール」とは「粘土質の土地」という意味で、ここではその名の通りの土壌となっている。

    《レ・ミュジニ》の北側に隣接し、シャンボールの谷の入り口にある。
    この畑から生まれるワインは、力強く、村名クラスのシャンボールにしては希少な凝縮感を持っている。むしろプルミエクリュのような印象さえ与える。この地にも四つの小さな区画が、《ナゾワール》 《マラディエール》 《モンピ》という畑の中にある。これらの畑は皆、扇状に広がる谷の出口の沖積地にあり、下層土は石が多く、水捌けが非常に良い。
  • グロ一家の歴史

    グロ一家の歴史はニュイ・サンジョルジュの町から2キロほど離れたニュイの丘の上にあるショーと いう小さな村で1804年に生まれたアルフォンス・グロから始まる。
    彼がラトゥール家のお嬢さんと結婚して、1830年にトゥルーヴ家所有の家宅を買い取って、ヴォー ヌの村に住み着いた。この家宅に、シトー修道院長であったドン・トゥルーヴ神父が1789年のフラン ス革命の間に亡命した。

    ジャン・グロは現在コミューヌ通り3番地にある家宅の一部に住んでいる。
    アルフォンスの息子のルイー・ギュスターヴはゲノー家のお嬢さんと結婚して、アルフォンスの後を 継いだ。コート・ドール県で、ワインを直接に個人客にはじめて販売した葡萄栽培業者の一人である。

    1868年11月のパンフレットによると、1858年のクロ・デ・レアは一本につき5.00フランで、1861年と 1862年のは3.50フランで1864年のは2.50フランで、この料金は最小量25本で、ヴージョ、または ニュイの駅までの配達料込みになっている。
    同じパンフレットでは1868年のワインが優れたものになる だろうと予言して、ワインの愛好家に十分に購入しておくようにと勧めている。
    リッシュブールの2ヘクタールの畑を1882年に購入したのもルイー・ギュスターヴである。

    三代目のジュール・グローはルノド家のお嬢さんと結婚した。
    ジュールの息子は2人とも第一次世界 大戦に行ったが、一人死んで、もう一人のルイーは重傷を負って帰ってきた。 1920年レオンス・ボケ氏 の財産の競売のとき、ジュールは息子ルイーのためにクロ・ヴージョの区画を2カ所購入した。
    ジュールは数年後にグラン・エシェゾーを購入して、レ・ロアショースという3ヘクタールの区画の 再構成に一生を捧げた。ルイー・グロは1951年に亡くなった。

    1963年まで4人の子供は共同経営を続けた後、ドメーヌを分け合った。ギュスターヴとコレットは一緒に なってドメーヌ・グロ・フレールスールを構成した。このドメーヌは現在ギュスターヴとコレットの甥で ミシェルの弟であるベルナール・グロが経営している。

    ジャンとフランソワはまずグロ・ペールフィス社を共同で経営して、1973年に分かれて別々の会社を 設立した。

    ジャン・グロは元々クロ・デ・レアとリシュブール0.5ヘクタールの区画とヴォーヌ・ロマネ0.5ヘク タールの区画を含む4ヘクタールの葡萄園を相続した。葡萄園を購入したり、区画整理を行ったり、 そして特にヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サンジョルジュ、ブルゴーニュ、アルスナン村のオート・コート ・ド・ニュイの耕作していない土地を開墾したりして、ドメーヌを大きく拡張しました。
    ジャン・グロは独創的で革新的な人柄でヴォーヌ村のレアの谷間やニュイの丘の上に現在も多く残って いる高くて広い葡萄の樹からなる葡萄園を積極的に促進しました。また、色々な新しい設備や方法の開発 や適用にも貢献しました。

    (以上、インポーター資料より。)

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